2012年12月25日火曜日

新年に向けて思うこと…

気づけば今年も残すところ一週間。やっぱり駆け足で来ちゃったなあというのが偽らざる感想。ガレリア座、久々の夏の公演も盛況のうちに終わりました。なんといっても日本オペレッタ協会名誉顧問の寺崎先生に応援していただけたのはとても良い経験でした。先生もオペレッタ協会最後の大舞台が奇しくも「ヴェニスの一夜」。決してメジャーとは言えないシュトラウス作品の取り持った不思議な、でもある意味必然的な“ご縁”。そして自身がプロデュースする新宿オペレッタ劇場3年ぶりの復活公演。これも私の大切な“ファミリー”がしっかりスクラムを組んで盛況に導いてくれました。最後はガレリア座20周年記念公演のスタート。久しぶりに戻ってきてくれる団員も多く、懐かしい顔が舞台に並びます。そして最近10年のあいだに“ご縁”のあった3つの団体がサントリーの応援に駆けつけてくれます。「運命の力」で巡礼の合唱を助けてくださった末吉嘉子先生率いる合唱団ジューンエコー。ルートヴィヒ管弦楽団というアマオケの「第九」にガレリア座合唱団が賛助出演した際、ご一緒させていただいた北村哲朗先生率いる女声アンサンブル「ラーク」。そしてガレリア座初の学校公演で異様な盛り上がりを見せてくれた都立東大和高等学校。音楽の神田宇士先生率いる吹奏楽部は、東日本学校吹奏楽大会で金賞を受賞する実力を持っていますが、彼らが「椿姫」のバンダ(オーケストラの別動隊)を引き受けてくれることになりました。たくさんの“縁”がサントリーの記念公演を支えてくれます。すてきな“縁”が来年も続きますように。そしてみなさんに幸せが訪れますように。

2012年7月11日水曜日

本番終わりました…そして

ルネこだいら大ホールに2階建てバルコニー付きのデラックア・ハウスが建ち、夢のような時間が始まりました。団員が口々に「出るのか、出ないのか」と言っていたゴンドラは、ちゃちなものを作るとかえって悲しくなるので、結局は作らず、それでも、オケピットから舞台上へ直接上がる階段を作ったことでゴンドラを模してみました。私の心から信頼する照明、音響、舞台、ヘアメイクの外部スタッフが、公演をしっかりと支えてくれました。休憩含めて3時間半の長丁場。それでもお客様は、よく笑い、よく理解して、一緒にお芝居を盛り上げてくれました。 台本も書いた私としては、最後、公爵の笑わぬ侍従チェントゥーリオが笑みを浮かべて「嘘も方便」と台詞をしゃべったとき、客席がどっと沸いたので、思わずガッツポーズをしてしまいました。 公演後、ロビーに出て、みんなでお客様をお送りしました。みなさん、お世辞抜きと思われる笑顔で「楽しかった」「面白かった」と言ってくださいました。演じる者にとってこのときほど幸せなことはありません。皆さんのアンケートもお褒めの言葉ばかり。いつもは幾つか見かける辛口コメントがなかったのが、少し残念に思えたほどです。 興奮の打上げを終え、苦楽を共にしてくれる最後のメンバー「運搬班」とともに、倉庫へ道具を返すため、深夜の中央高速を南アルプスまで走ります。倉庫の前には、美術監督長谷部君のお母様が、懐中電灯と、おうちで採れた野菜を持っていくように置いておいてくれました。その気遣いに私は胸がいっぱいになりました。最後の最後まで、私たちは大勢の方々の善意に支えられている。これが本当の舞台なのだ、と。 東京へ向かう窓の外、山々の合間に見える町の明かりを見ていると、公演の終わりを感じます。でも、公演の終わりは、いつも“始まり”なのです。それを再び始めることのできる幸せを感じながら、このコーナーを閉じたいと思います。 最後までお付き合いいただきありがとうございました。そして、ご来場いただきました皆様に厚く御礼申し上げます。 次回、20周年記念演奏会、サントリーホールでお会いできることを楽しみにしております!

2012年7月3日火曜日

あと5日になり…

最後の稽古を日曜に打上げ、あとは各種連絡が私の手元に残るのみ。 2週間前あたりから歌い手のなかに負傷者が続出し、おはらいにでも行ってこようかしらと思っただけで、そんな余裕もなく。今日、南関東で最大震度4の地震があって、何か起こらねばよいがと願うばかり。本当に演出家なんて非力なものです。最後は神頼み? 来場してくださるお客様に何かいい情報はないかな。終演は17時30分過ぎの予定です。となると帰りがけに夕飯を…となるのですが、正直なところ、小平駅にはお勧めできるご飯屋さんはありません。素直に新宿まで戻っていただくか、あるいはもし国分寺に出られるのであれば、美味しい焼肉屋さんをご紹介します。「山水」といいます。国分寺の北口すぐに本店と二号店の二店舗。あと駅ビルの中にも入っています。ここの牛タンは厚くて旨い。ユッケはもう出ないかな。これも旨い。最近は年齢からくる好みでカルビより、ハラミ、ロースがお気に入り。お値段も安くはないのですが、まず満足していただけると思います。肉食いの私が言うのですから!

2012年6月27日水曜日

寺崎先生が来ました

6月24日午後6時、新宿区内の私たちの小さな稽古場に、演出家の寺崎裕則先生がいらっしゃいました。オペレッタ好きの人はもちろん、オペラに関心のある人なら、先生の名前を知らない人はいないでしょう。日本オペレッタ協会の創設者にして、日本オペレッタ協会の最高顧問、まさに日本におけるオペレッタの第一人者です。 緊張に包まれる稽古場。普段やったこともない発声練習や準備運動など、まあ、大地震の前触れの小動物の蠢きみたいに不可思議な光景です。最初に見ていただいたのは第1幕フィナーレ。ひととおり通した後に、先生の感想から始まります。「役者の人の台詞が自然じゃないんだよね。台詞を台詞として話してしまう。それじゃダメなんだ。自然じゃなくちゃ。」これを受けて、3人の元老員議員たちへの指導です。台詞は一言一言止められ、登場の仕方、歩き方、表情、仕草まで細かく細かくつけていきます。もちろん私たちもこれまで一所懸命作ってきたので、誇りはあります。自信だってちょっとだけあります。でも先生は許してくれません。「こうでしょ!こうじゃなきゃダメでしょ!」でも、それがうまくできると「そうそう!ほら、そうなるじゃない!できるじゃない!素晴らしい!」だんだんと稽古場の空気が熱くなります。 「自然に!」「役の性根は?」…アマチュアだからって容赦は一切なし。ときには机をたたき、ときには立ち上がり役者の傍らで演じてみせる。その情熱と気迫は御年79歳という年齢をまったく感じさせません。そうして、いつのまにか私たちは寺崎ワールドに包まれていったのです。 あっという間の3時間が過ぎ、帰りの道々、先生が私にこう言われました。「今日は楽しかった。アマチュアは素晴らしいよ。だって砂に水が吸い込まれるようにどんどん吸収して、どんどん上手くなっていく。僕はそれを目の当たりにして感動的だった。へんに手垢のついたプロだと話を聞こうとしないんだ。素直っていうのは本当に大切。」 寺崎先生も楽しんでくださった。僕たちも非常に刺激を受けた。あとのお酒が美味しかったことは言うまでもありません。日付が変わる頃まで、飲んで、話して、笑って。公演の成功を予感できた一日でした。 ついに寺崎御大の登場です! 真剣な指導 思わず立ち上がり… 稽古場の空気も変わります ガレリア座至福のとき もちろんこれも欠かせない!

2012年6月26日火曜日

HPしました

HP(ハーペー)といいます。ホームページではありません。もちろんホームランでもありません。Haupt Probe=これもドイツ語で言う総練習の意味です。いつものガレリア座なら、本番1週間前にやるのですが、余裕綽々の今回のプロジェクトでは2週間前の設定。それも再び砂町です!砂町銀座商店街の底知れない魅力はGPの報告でもお知らせしたとおり。今回はヘアメイクを担当してくれるラルテの長谷川さんと楽しく“砂銀ブラ”です。美味しいもの大好きの長谷川さんは、すでに稽古場に来る過程で、この砂町の素晴らしさに圧倒されていました。まず二人で、究極の焼き鳥屋へGO!ねぎまと皮とレバー、そしてお供に缶ビール!たれの旨いこと!レバーの味のよろしいこと!たぶん金管セクションが私たちの後に続いたはずです(笑)。さらにおでん屋で、ちくわをGET!立ち食いのおでんがこれまた旨い!クリームパン、赤飯にぎり、マグロ串カツ、 餃子と唐揚げを買い込んで稽古場に帰還。GPに続いて稽古を見に来てくれた照明の寺西巨匠を尻目に、長谷川さんと夕飯を楽しみました。ああ、幸せ!…あ、通し稽古ですよね。うん、良かったんじゃないですか…。 これがスコア 八木原の両腕 照明の巨匠寺西伯 僕のハセちゃん

2012年6月20日水曜日

もうすぐ2週間前

今度の週末、土曜日にHP(ハウプトプローベ)という総練習があります。言ってみれば本番前の総仕上げです。このところの私に課されている仕事は、もう中身の演出とはほとんど関係なく、弁当の数の調整(単価の折衝)、駐車券の手配、楽屋の割振、アナウンス原稿の作成、打上げの店との交渉…いわゆるプロデューサーの仕事に集約されます。演者たちは本当によく仕上がってきました。平日は忙しく責任のある仕事をこなしながら、みんな僅かな週末の休日に意識とエネルギーを集中させて稽古や準備にあたってきました。本番のわずか3時間程度のために、そりゃ厖大な時間と労力と金をかけて! 私は思うんです。好きなことがあるのは素敵なことだと。もちろん疲弊もするし、少しは嫌な思いもするのだけれど、ただ日々の生活に追われているだけでは、どうして生きている価値があるのだろうと。もちろん、それがオペラでなくたっていいんです。サッカーの応援でも、野鳥の観察でも、畑仕事でも、ラーメンの食べ歩きでも、ボトルシップの製作でも、我が子のお受験対策でも…。もし、何か楽しいことがあったらいいな、と思っている人がいたら、ぜひガレリア座に遊びに来てほしいと思います。いろんな職種の人が、いろんな年齢の人がいて、おんなじ目標に向かって頑張って楽しんでいます。 本番直前の様子を書こうと思ったら、ただの勧誘記事になってしまいました。勘弁! でも、次の舞台はサントリーです。どうぞ奮ってご参加ください!

2012年6月16日土曜日

高津へ行きました

ここへ行くようになると本番を感じます。高津装飾美術株式会社。京王線国領駅からほど近くにある道具屋さんです。でも、そんじょそこらの道具屋さんではありません。映画やテレビのエンドロールで、ここの名前を見ないものは絶対ない!と断言できる日本屈指の道具屋さんです。いわゆる小道具、持ち道具の類で高津にないものはないのです。今回のガレリア座オーダーは比較的少なく、まずは第二幕に出てくる公爵家のテーブルと椅子。同じく二幕のテーブル上の果物皿、菓子皿、スープ壺(チューリンと言います)。さらに二幕の年季の入ったデッキブラシを一本。果物皿と菓子皿は急に思いついて、下見に行く日の午前中にオーダーしたにもかかわらず、こちらの希望通りの物が用意されていました。以前の公演では、ネコ脚付のバスタブ(第10回公演「天国と地獄」使用)とか、和物の人力車(第20回公演「美しきエレーヌ」使用)とか、ずいぶん妙なものをオーダーしたものです。でもなんでもあるのが「高津」です。下見に行くとワクワクするのは、大量に保管されているそうでなくても面白そうな道具の上に、NHK「梅ちゃん先生」の札とか、日テレ「ぐるナイ」の札が貼ってあるのです。そう、映画やテレビで見ている道具がそこらに並んでいるわけです。ああ、そういえば見たかも…なんて思いながら道具を見る愉しみ。偉そうにガレリア座の札が付いた道具も一緒に並びます。ちょっと誇らしい。 今回も美術監督、長谷部君が同行しました。 人物譚で長谷部君をとりあげた際、彼は高津であれこれ迷うので困ったものだと、私が書いたのが気になっていたらしく、今回は一時間足らずの滞在で高津を出たとたん、口の重い長谷部君が私にこう言ったのです。「今回は早かった…。」

2012年6月12日火曜日

GPしました

GP(ゲーペー)しました。General Probe=ドイツ語で言う総練習の意味です。仕上げ練習の一つとして、本舞台ではないけれど、本番の舞台の大きさを確保できる大きな会場で行います。オーケストラも入り、歌手は衣装やメイクも本番さながらに施します。照明、音響、ヘアメイク、録画等のスタッフが見守る中、稽古は粛々と行われました。音楽や台詞はずいぶんとこなれてきて、危ないシーンもいくつかあったにせよ、通し稽古としてはなかなか順調な仕上がりとなりました。でも本題はそこではないんです。今回のGP会場は私の超お気に入り、江東区の砂町文化センター。この場所、日本でも有名な商店街「砂町銀座商店街」のど真ん中にあります。砂町銀座、略して“すなぎん”。TVでも、しょっちゅう紹介されているのですが、とにかく安くて旨い惣菜が溢れている!私の昼飯、肉屋のボリュームたっぷり弁当がたったの250円!から揚げ、焼き鳥、おでん、うま煮、肉まん、ポテサラ、おむすび、おはぎに団子、餃子、焼売、焼き魚、赤飯、あさりの佃煮…いやいや、もうお腹いっぱい買い込んでも1000円になかなか届かない!ワンダフル!ビューティフル!イッツ・ア・ドリーム・ワールド!!いつも稽古時間がない!と喚いている私が、ここだけは絶対に一時間の昼休憩、夕方休憩を譲らない。手慣れた団員は必ずタッパとマイ箸持参。これぞ“すなぎん”の掟!当団の金庫番、会計担当の宮崎氏による食べ歩きマップまで登場し、興味関心は“食”に集中するのです。幸せ溢れる砂町銀座。次の大きな練習HP(ハーペー)=Haupt Probeも、じつはここ砂町で行われます…ふふふふ。この会場を取ってくれたアシスタント・プロデューサーに拍手喝采!ああ、楽しみだこと…。 座付きオケの魅力 これぞ総稽古 1幕フィナーレ 2幕フィナーレ

2012年6月4日月曜日

稽古風景より

いよいよ公演一か月前となってきました。制作統括である私のところには、照明・音響・大道具等の外部業者との打合せや、プログラムの執筆、道具等の確認、運搬計画に始まって、弁当の数のチェック、駐車券の手配に至るまで、多くの仕事がどどどっと押し寄せます。こうなると、ああ、もう本番なんだなあ…と実感するのです。ただ、今回の公演、いつもと違うことがあります。それは、稽古の中身の濃さ。いつもより台本を早めに脱稿し、演出も早めに付けたため、稽古にかける時間が少しだけ長いんです。つまり、私も演者もじっくり台本やスコアに向き合える。微妙な心理の変化をどう演じていくか、作りこみをする時間がいつも以上にあるのです。楽しいですよ。どうしてここにピアニシモの表示が書いてあるの?同じフレーズが繰り返されるとき一回目と二回目をどう変えるの?ちょっと色気が足りないなあ…。会話しているのに相手を意識しないのはダメだよね…などなど。ソリストは苦しみながらも、一つの成果が演者を大きく成長させる。この作業が楽しいのです。本当に。合唱だって、その他大勢十把一絡げは許しません。町の人、一人一人に個性がないなんておかしいでしょう?みんなきちんと演じていただきます。要求の高さに驚いた人もいるのでしょうが、これぞガレリア座。隅々まで見て楽しい舞台にしていきたいと思います。どうぞご期待ください!

2012年6月1日金曜日

ガレリア座人物譚~その4

ガレリア座管弦楽団。アマチュアとしては異色中の異色。オーケストラ・ピットに入って活動するのが目的のオーケストラです。その表の顔と言えばコンサートマスター。第一ヴァイオリンのトップ、指揮者の左側一番近くに座っているのが山内美英さんです。記録を見ましたら5代目のコンマスということになります。就任期間としてはガレリア座史上最長のコンマスです。愛称はヤマウチの“チ”の字をとって“ちーさん”。とくに仲のいい私は“ちー”と呼び捨てにします。オケ練習は演出家にとって暇なので、暇を持て余した私が“ちー”“ちー”と連発するのですが、これがどうもお気に召さないらしく、大抵は怒られるか、嫌がられるかします。それほど仲がいいのです。根が真面目で、まちがいなくシャイな“ちーさん”ですが、そういう人を無理やり陽の当たる場所に引きずり出してみたくなるのが演出家です。本当に私は“ちーさん”に優しいのです。 異色のアマオケ、ガレリア座管は飲み会も異色で、通常、練習後のお酒にあまり付き合わない弦楽器のメンバーが率先して飲みに行きます。むしろ仕切ります(アマもプロも飲むのは管が相場です)。そんな呑兵衛軍団を仕切り、一滴も飲まないのに飲み会には顔を出す“ちー”は本当に偉大なコンマスです(あ、音楽性ももちろん素晴らしい!)。

ガレリア座人物譚~その3

ガレリア座の“監督”4人目は美術監督。 このポストがいつから創設されたか調べてみたところ、2006年の第18回公演「モンマルトルのすみれ」(カールマン作曲)で初めてクレジットされています。まだ僅か6年というのに彼の存在感と責任はますます大きくなっています。その口数とは反比例するように…。長谷部和也君。たしか前任の美術担当が、ぜひにと連れてきた若者は、私の必要とする小道具をいつの間にか準備してくれました。私のあいまいな指示も、雑然としたイメージも彼にかかると明確な“モノ”となって現れます。「いや、すごいねえ。見事なもんだ!」私がどんなに讃えても彼の反応は決まって笑顔ひとつ。驕ることなく、偉ぶることなく、多くを語ることなく、文字通り“黙々と”仕事をこなしていく職人、それが長谷部君です。 彼の仕事を信頼し、美術担当スタッフだった彼に「美術監督」を任せたいとプロポーズしたときの反応を覚えています。はっきりした声で「やります」と一言。見かけよりずっと若い年齢に似合わず、監督職の厳しさを理解した力強い一言でした。以来、彼とはガレリア座以外でも多くの舞台を創ってきました。じつに頼れるスタッフです。でも、一緒に高津小道具の倉庫で道具選びをしているときの彼だけは許せません。じつに、じつに優柔不断で、気の短い私をイライラさせるのです。「やへ(長谷部君の愛称)、どうするの?こっちの白いテーブル?それともこっちの茶色のやつ?どっちがいいの。僕はどっちでもいいんだ。決めるのはあなただから。」これが延々繰り返されるのです、テーブルでも、椅子でも、ソファでも!!それさえなければ、やへ君は最高の美術監督なんですけどねえ。

2012年5月6日日曜日

ガレリア座人物譚~その2

ガレリア座には“監督”が4人います。 最初からいたのは“芸術監督”の私と、“音楽監督”のマエストロ。 三番目に創設されたのが“舞踊監督”、最後が“美術監督”。 野球の監督にしろ、映画監督にしろ、その現場で一番偉い!皆が言うこと聞く。 男と生まれたからには一度はやってみたい職業なんて言われたりするそうです…が、ガレリア座ではまったく意味が異なります。 ガレリア座の“監督”は滅私奉公。退団する権利がなく、団が消滅するまでそのポストで献身的に尽くすことを承諾した(または、させられた)気の弱い人を指します。 人物譚で次に取り上げるのは“舞踊監督”の藤井さんです。 藤井さんは第2回公演「オペレッタ・ガラコンサート~知られざる名曲サロン」から座に加わりました。オペレッタには踊りが必要。でも、当時のガレリア座には踊れる人がいませんでした。団員の大林さんから紹介を受け、渋谷駅のレストランでお会いした藤井さんは、口数少なく、オペレッタについて饒舌に語る私の話を聞いているんだか、いないんだか。あちらの世界に時々行ってしまうのは当時から現在まで変わりません。オペレッタはあまりご存知なかったようですが、まあ、じつに見事、団員のレベルに合わせつつ最大の効果を発揮する振付により、藤井さんは舞踊監督に就任されました。なかでも私が最高傑作と認めるのが、ヨハン・シュトラウス「ウィーン気質」3幕冒頭の村娘リジちゃん、ロリちゃんのシーン。完全に付け足し、どうでもいいこのシーンは、私の大のお気に入りとなり、サントリー公演にも登場しました。 先ほど、ガレリア座では、監督の言うことを聞かないなんて申し上げましたが、藤井先生がニッコリ微笑むと、男性団員どもはどんな過酷な要求にもホイホイ応えます。なので、気の弱い私は、団員に厳しい要求をするシーンを“振付”と称して藤井さんにやってもらいます。ただ、そのせいで私の立場が相対的に弱くなり、もはや野町君と藤井さんがいれば稽古は十分といった危機的状態を迎えています。あ、藤井先生、今後ともよろしく。

ガレリア座人物譚~その1

勢いがつくと書いてしまう。性分ですね。でもネタがなくなってきたので、ガレリア座を飾る人々を取り上げてご紹介します。 まず初回は、やっぱりマエストロでしょう。 ガレリア座のメンバーは皆、基本的にアマチュア。指揮者とて例外ではありません。普通、アマオケでも合唱団でも指揮者=指導者なので“先生”と呼ばれますが、ガレリア座で野町君を“先生”と呼んだのは後にも先にも、稽古を見に来てくれた時の大野和士さん(現リヨン歌劇場首席指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニ・フィル首席客演指揮者)しかいません。 マエストロは某鉄道会社にお勤めです。このところは内勤なのですが、以前、新宿駅にいたことがあり、団員に見つかって相当恥ずかしい思いをしたそうです。何かの演出の折、私が駅員さんの“指差し確認”を取り入れたところ、プロとして完璧な“指差し確認”をご指導いただきました。電車が入線するまでは電車の方を向き、自分の前を通り過ぎたところで進行方向へ向き直る、なんて知っていました? マエストロは温厚な性格で、とても奥床しく、私とプリマが言い争いをしていると気配を消す特技をお持ちです。ガレリア座の旗揚げ公演では副指揮者を務め、その後は音楽監督としてピットを守ってきました。アマチュアとはいえ、過去に10本をゆうに超えるオペラ全曲を指揮し、サントリーホールの舞台で踏んだ指揮者なんてざらにはいないでしょう。最近は、習ってもいない発声方法にも精通し、私のいないときには演出家気取りでいい気になっているという噂も耳にします。じつに頼もしいマエストロ、野町君です。

2012年5月4日金曜日

麗しの5月に

ハインリヒ・ハイネの詩にロベルト・シューマンが作曲した連作歌曲集「詩人の恋」は有名ですね。私も20代の頃は妹に伴奏を弾かせて、よく歌いました。その1曲目が“麗しの5月に”。冬の長いヨーロッパでは、4月を過ぎ、5月になると一斉に花々が咲き始め、人々は短い春を謳歌します。まあ、今ではヨーロッパも温暖化のせいでしょうか、4月になると半袖という気温も珍しくはないようですが。連休中も稽古が詰まっているガレリア座。ここから先は、中身を練り、定着させていく作業に入ります。一方、我々スタッフは、道具の検討、業者との打合せ、照明プランの作成、搬入搬出計画の作成、広報宣伝活動、チケット販売状況の検討などなど、とにかく忙しい時期に入ります。でも、おかげさまで、ガレリア座のスタッフ陣も、ここ数年はメンバーや作業工程ともに安定しており、どの作業も以前の十分の一程度の時間でクリアしています。これも“経験値”ですね。スタッフにとっての“忙しい5月に”なります。さあ、頑張ろう!

2012年5月1日火曜日

ふるさとに行く

私は、祖父の代から3代目続く東京暮らし。なので、まあ、もう東京人と言って差し支えないでしょう。実際、田舎に帰るとか帰省するとか言っても、私はとくに行く所がありません。でも、私の意識のなかでは、その祖父の郷里、埼玉県の毛呂山町にある“滝の入”は、私にとって大切な田舎なのです。子どもの頃は、お彼岸と言えば、祖父に連れられて滝の入を訪れました。土間があり、蔵があり、狭くて急な階段を二階に上がれば蚕を飼っている。それこそ「となりのトトロ」さながらの風景がありました。裏山には大きな養鶏場があり、鶏たちのやかましい鳴き声と、不思議に暖かい鶏舎を歩いて、卵を集めるのは本当に楽しかった。 お世話になった滝の入のおばさん、正確には祖父の兄の娘がこの4月に他界しました。身内を送るのはさびしいことです。葬儀には行かれませんでしたが、日を改めて、ふるさとにお線香をあげに行きました。 八高線の毛呂駅は電化区間から外れ、高麗川からディーゼル電車に乗り換えます。拓けたとは言いながらも、駅と駅の間は必ず森林風景が広がる場所です。ふるさとの家の前の道は立派に舗装されたものの、蔵もあり、面影は昔のまま。おばさんは遺影でしたが私に微笑んでくれました。「よしきさん、よく来たね」声が聞こえてくるようでした。 今は裏の鶏舎も、カエルやザリガニを採った小川もなく、ずいぶんと様変わりしてはいましたが、私にとって大切な人々の思い出は変わらず、そこにありました。 もう、代も替わり、人も移り、滝の入に行くことはないのかもしれない。その風景をしっかりと胸に収めて、家路につきました。

歌屋合宿しました。

まず私の駄文をお読みいただいている団員以外の方へ説明を。ガレリア座は、歌の人、オーケストラの人、バレエの人、スタッフさんなど、多くの人が関わっています。歌の人を“歌屋”。オーケストラの人を“オケ屋”と呼んでいます。バレエが“バレエ屋”ないし“踊り屋”などと呼ばれていないのは、まだ人数が少ないせいと、バレエという優雅なイメージがこの呼称を許さない、と私は解釈しています。 その歌屋の合宿が4月21日~22日の週末に千葉県の内房、岩井海岸で行われました。岩井海岸と言えば知る人ぞ知る音楽合宿のメッカ。4月のこんな時期でも、他の民宿からも練習の音が聞こえてきます。 過去の合宿において「街道沿いの雰囲気のいい料理屋で竹筒の日本酒を楽しみ合宿の開始時間に遅れる」「熱心な稽古をよそに河口湖でモーターボート遊びを楽しむ」など、数々の悪行を重ねてきた私ですが、今回はじつに真面目な態度で合宿に臨みました。稽古の様子を撮りましたので、よかったら見てください。今度のプロジェクトは事情により立ち稽古の進度が異様に早く、歌屋合宿の段階でほとんどのナンバーに演出がついている状態です。私も本当に大人になったなあ、成長したなあと感じ入っています。 練習風景

2012年4月2日月曜日

浅草オペラ

今、信濃町駅前の民音音楽博物館で企画展「浅草オペラの時代展~大衆文化の転換点・大正時代誕生100年を迎えて~」が開かれています。期間は7月1日まで。毎週月曜の休館以外、無料で見られるので足を運ばれてはいかがでしょうか。3月29日に同展を記念した文化講演会がありました。今や、すっかり仲良くなった日本オペレッタ協会名誉顧問の寺崎裕則先生と、先生の盟友でもある脚本家の清島利典さんが対談形式で行う講演会でした。元松竹歌劇団の甲斐京子さんが「おてくさん」「コロッケの唄」「君恋し」などを披露してくださり、平日の昼間というのに満員御礼の客席も大いに盛り上がりました。ウィンナ・オペレッタだけでなく、フランス・オペレッタにもどっぷりハマっている私は、以前、江戸東京博物館に行った折、偶然にも大正時代の常設展示のなかに、数々のフランス・オペレッタのプログラムを見つけ、大興奮しました。一言で“浅草オペラ”と言いますが、わずか5~6年、清島さんに言わせれば実質的には1~2年の間に熱狂的な流行となった夢の時代には、じつに多様な作品が上演されたそうです。「カルメン」や「ファウスト」のような本格的なオペラ、「ボッカチオ」「ヴェロニック」「フラ・ディアボロ」のようなオペレッタ、佐々紅華(さっさこうか)らが制作した和製オペレッタやミュージカル。末期にはオペレッタとは名ばかりの稚拙な作品も生み出されたそうですが、そんな粗製乱造が行われたのも、このブームが尋常ではなかったから。当時の情報スピードを考えると、現地初演からわずか20年ほどの間に東洋の島国、日本で上演されていた事実は、まさに驚異的というほかはないと言えましょう。なかでも今や、日本では上演される機会すらなくなってしまったフランス・オペレッタについて言えば、私はかの時代を憧れの眼差しで見てしまいます。タイムマシンがないのであれば、もはやわが手で復活させる以外、舞台を見る方法はありません。私が“新宿オペレッタ劇場”で躍起になってフランス・オペレッタの上演をしたのは、ただただ自分が見たいため。本当にそれが目的でした。大正時代、デモクラシイの流れのなか、知的大衆娯楽として受け入れられた“オペラ”そして“オペレッタ”。現在の日本オペラ界が、あの時代をどこか下に見つつも、今なお一つの伝説のように語り継いでいる皮肉な状況を、私は微笑まずにはいられません。

2012年3月28日水曜日

ある日の稽古

3月最後の日曜日、午後はソリスト稽古、夜は女声合唱のシーン稽古がありました。午後はねちねち、夜はパッパとやって飲みに行こうと思っていたのですが、思いのほか真面目な演出家の私は気合が入ってしまい、夜9時まで稽古してしまいました。夜の9時まで!それから飲みに行ったことは言うまでもありません。あ、ガレリア座は“呑兵衛”も歓迎します。歌や楽器に自信がなくても、酒の好きな方、どうぞ参加してください。
★演出練習風景がご覧頂けます。

2012年3月26日月曜日

ガレリア座の人々

先日、私が制作していた「新宿オペレッタ劇場」のメンバーと久々の飲み会がありまして、歌い手の方から、その方のアマチュアのお弟子さんがガレリア座に興味を持っているというお話を伺いました。それで、そのお弟子さんが座のホームページをご覧になって、「この団体はとてもハードルが高い」と思われたのだそうです。む、む、いかん!このホームページではガレリア座の真の姿が、実態が、伝わっていない!ハードル、高くないよお!というよりハードルなんて無いも同然なんだよお!と私は声を大にして言いたい。 ガレリア座には譜面の読めない人もいます。譜面なんて読めなくたって歌は歌えます。2歳児や3歳児は歌を歌いませんか?歌いますよね。カラオケ、好きですか?カラオケの画面に歌詞は出てきますが、譜面は出てきませんよね?でも、みなさん歌いますよね。ガレリア座の有名なエピソード。歌い手のK君は入団当時、オペラなんて見たことも聞いたこともありませんでした。友人の座員から「《魔弾の射手》歌いに来ない?」と言われ、「《マダム・ジャジュ》?なんだそりゃ?カラオケにでも誘われたんだろう」と思って稽古に来て、K君は東京国際フォーラム杮落しの舞台を踏みました。 ガレリア座は若い人の集まりですか?という声も耳にします。いいえ、上は還暦を越えた方から下は小学生まで在籍しています。年齢はまったく問題になりません。 先日の稽古に、私の知り合いの大学生を見学で連れて行きました。彼は《ヴェニスの一夜》の音楽なんてまったく知りません。でも、私が演出の説明を終えて、さあ、やってみようかという段になったら、彼は曲を全然知らないのに、団員に交じって演技に加わっていました。休憩の時に私が「曲、知らないのによく加わってたね。びっくりしたよ。」と言ったら、座員から「まあ、いいから、一緒にやりましょう。」と言われたので…と言っていました。そうですね。ガレリア座のメンバーになるために必要な素養と言われたら“ノリの良さ”と“難しく考えすぎないこと”の2点でしょうか。そんな方、大募集中です。ハハ。

2012年3月18日日曜日

寺崎先生と出合う

いつの日か、こういう日も来るのかもしれない…そう思っていたことがやってきた。日本オペレッタ協会の創始者であり、現在の名誉顧問、寺崎裕則先生との出合いである。話はやたらと突然だった。現在の私の職場に先生から電話がかかってきたのだ。いわく、ガレリア座でミレッカー作曲のオペレッタ「乞食学生」を上演した経緯について話を聞きたいとのこと。オペレッタに魅了され、自身、カンパニーを立ち上げてまで上演をしてきた私にとって、寺崎先生に言われれば否応もなく、夏の一日、資料を携えて先生のお宅のある成城学園前駅へと伺った。先生は天皇陛下のご学友である。つまり昭和8年生まれの79歳。私に微笑んで近づいてこられた先生は、その年齢を感じさせず、じつに矍鑠としている。とにかくお元気なのだ。 喫茶店で資料をお渡ししてからは、実際「乞食学生」の話などしたのを忘れてしまうほど、オペレッタ上演の苦労話、最近のオペラ演出のあり方、芸術論や教育論、文化行政のあり方から芸能裏話まで、とにかく時間がたつのを忘れて話し込んだ。先生もこの物好きを珍しがってくださって、その後、お宅まで伺って、《ヴェニスの一夜》の資料まで頂戴した。出合いの一日は、こうしてあっというまに過ぎ去った。 でも、ご縁はこれだけでは終わらない。 今年、2月に日本オペレッタ協会は、最後のオペレッタ作曲家として知られるシュトルツの人生を綴ったオペレッタ《ローベルト・シュトルツの青春~二人の心はワルツを奏で》を上演した。その本番近い稽古に、私は厚かましくも二度ほど伺い、プロによるオペレッタの制作現場を堪能させていただいた。このオペレッタは寺崎先生の台本によるオリジナル作品で、シュトルツのオペレッタ名曲の数々をシュトルツ本人役の演者が語りでつないでいくスタイルをとっている。シュトルツ役を演じたテノールの田代誠さんは、語りに歌にと負担の大きな役どころを見事に演じられた。 だが、その直前稽古では、事情により寺崎先生が田代さんに代わって、その語りを引き受けた。もちろんこれは稽古だから。けれど、けれど、その語り口のなんとも素晴らしいこと。まるでシュトルツ本人が話しているかのように、とても鮮やかに情景が目の前に広がってゆく。同行していたガレリア座のメンバーも同様の感想を持ったようだった。 こういうことがあるから稽古場は楽しい。 2月25日、北とぴあ・つつじホール。終演後にガレリア座のメンバー25人ほどが寺崎先生を囲んだ。先生からは「《ヴェニスの一夜》がんばってください。」と、激励のお言葉。日本オペレッタ上演史に名を残す演出家・プロデューサーからのお言葉は、熱く、重く、私たちの胸に響いたのだった。

2012年3月8日木曜日

初演出


3月3日、ひなまつりの夜、喜歌劇「ヴェニスの一夜」の演出稽古が始まった。2010年9月5日の歌劇「運命の力」で本番会場の演出卓を離れて以来だから、18か月ぶりの復帰だ。演出家にもいろいろいるだろうが、私の場合、演出というのは台本の執筆同様、かなり寂しい作業なのである。演出を考えているうちは、ああでもない、こうでもないと様々なプランを頭の中でこねくり回し楽しむことができる。だが、これで行く!と決めてしまい、それを演者に伝えた後は、もうそれは大方自分のものではなくなってしまう。もちろん、演出家なら演者にああしろ、こうしろと言えるし、演者とのぶつかり合いのなかで新しい発見があったりするのは楽しい。それでも一度決めた演出を根底からやり直すというのは、ほとんど無理だ。
私にも何度か訪れた人生の分岐点で、もし、あっちの道を選んでいたら…という想像は、40代半ばを過ぎたこの年齢になれば、誰しもが一度はやっている。選択の仕方によっては、今よりも幸福な人生の可能性はあったろう。演出という行為は、私にとって、そのミニチュア版のようなもの。一度決めれば、それで最高の舞台を作るしかないわけだが、選択しなかったプランたちに思いを馳せる瞬間が、公演日まで必ず何度か訪れる。私が演出を“寂しい作業”というのは、そのせいだ。
ガレリア座のソリストたち、合唱団員たちは、もうすっかり私のやり方がわかっていて、初日は見事なスピードで進行した。翌日の稽古とあわせて、たった2日間で第1幕はフィナーレを除いてすべて演出が付いてしまった。あんなに一所懸命考えたのに…、あんなに迷って選んだのに…。寂しさもひとしお。