2012年5月6日日曜日

ガレリア座人物譚~その2

ガレリア座には“監督”が4人います。 最初からいたのは“芸術監督”の私と、“音楽監督”のマエストロ。 三番目に創設されたのが“舞踊監督”、最後が“美術監督”。 野球の監督にしろ、映画監督にしろ、その現場で一番偉い!皆が言うこと聞く。 男と生まれたからには一度はやってみたい職業なんて言われたりするそうです…が、ガレリア座ではまったく意味が異なります。 ガレリア座の“監督”は滅私奉公。退団する権利がなく、団が消滅するまでそのポストで献身的に尽くすことを承諾した(または、させられた)気の弱い人を指します。 人物譚で次に取り上げるのは“舞踊監督”の藤井さんです。 藤井さんは第2回公演「オペレッタ・ガラコンサート~知られざる名曲サロン」から座に加わりました。オペレッタには踊りが必要。でも、当時のガレリア座には踊れる人がいませんでした。団員の大林さんから紹介を受け、渋谷駅のレストランでお会いした藤井さんは、口数少なく、オペレッタについて饒舌に語る私の話を聞いているんだか、いないんだか。あちらの世界に時々行ってしまうのは当時から現在まで変わりません。オペレッタはあまりご存知なかったようですが、まあ、じつに見事、団員のレベルに合わせつつ最大の効果を発揮する振付により、藤井さんは舞踊監督に就任されました。なかでも私が最高傑作と認めるのが、ヨハン・シュトラウス「ウィーン気質」3幕冒頭の村娘リジちゃん、ロリちゃんのシーン。完全に付け足し、どうでもいいこのシーンは、私の大のお気に入りとなり、サントリー公演にも登場しました。 先ほど、ガレリア座では、監督の言うことを聞かないなんて申し上げましたが、藤井先生がニッコリ微笑むと、男性団員どもはどんな過酷な要求にもホイホイ応えます。なので、気の弱い私は、団員に厳しい要求をするシーンを“振付”と称して藤井さんにやってもらいます。ただ、そのせいで私の立場が相対的に弱くなり、もはや野町君と藤井さんがいれば稽古は十分といった危機的状態を迎えています。あ、藤井先生、今後ともよろしく。

ガレリア座人物譚~その1

勢いがつくと書いてしまう。性分ですね。でもネタがなくなってきたので、ガレリア座を飾る人々を取り上げてご紹介します。 まず初回は、やっぱりマエストロでしょう。 ガレリア座のメンバーは皆、基本的にアマチュア。指揮者とて例外ではありません。普通、アマオケでも合唱団でも指揮者=指導者なので“先生”と呼ばれますが、ガレリア座で野町君を“先生”と呼んだのは後にも先にも、稽古を見に来てくれた時の大野和士さん(現リヨン歌劇場首席指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニ・フィル首席客演指揮者)しかいません。 マエストロは某鉄道会社にお勤めです。このところは内勤なのですが、以前、新宿駅にいたことがあり、団員に見つかって相当恥ずかしい思いをしたそうです。何かの演出の折、私が駅員さんの“指差し確認”を取り入れたところ、プロとして完璧な“指差し確認”をご指導いただきました。電車が入線するまでは電車の方を向き、自分の前を通り過ぎたところで進行方向へ向き直る、なんて知っていました? マエストロは温厚な性格で、とても奥床しく、私とプリマが言い争いをしていると気配を消す特技をお持ちです。ガレリア座の旗揚げ公演では副指揮者を務め、その後は音楽監督としてピットを守ってきました。アマチュアとはいえ、過去に10本をゆうに超えるオペラ全曲を指揮し、サントリーホールの舞台で踏んだ指揮者なんてざらにはいないでしょう。最近は、習ってもいない発声方法にも精通し、私のいないときには演出家気取りでいい気になっているという噂も耳にします。じつに頼もしいマエストロ、野町君です。

2012年5月4日金曜日

麗しの5月に

ハインリヒ・ハイネの詩にロベルト・シューマンが作曲した連作歌曲集「詩人の恋」は有名ですね。私も20代の頃は妹に伴奏を弾かせて、よく歌いました。その1曲目が“麗しの5月に”。冬の長いヨーロッパでは、4月を過ぎ、5月になると一斉に花々が咲き始め、人々は短い春を謳歌します。まあ、今ではヨーロッパも温暖化のせいでしょうか、4月になると半袖という気温も珍しくはないようですが。連休中も稽古が詰まっているガレリア座。ここから先は、中身を練り、定着させていく作業に入ります。一方、我々スタッフは、道具の検討、業者との打合せ、照明プランの作成、搬入搬出計画の作成、広報宣伝活動、チケット販売状況の検討などなど、とにかく忙しい時期に入ります。でも、おかげさまで、ガレリア座のスタッフ陣も、ここ数年はメンバーや作業工程ともに安定しており、どの作業も以前の十分の一程度の時間でクリアしています。これも“経験値”ですね。スタッフにとっての“忙しい5月に”なります。さあ、頑張ろう!

2012年5月1日火曜日

ふるさとに行く

私は、祖父の代から3代目続く東京暮らし。なので、まあ、もう東京人と言って差し支えないでしょう。実際、田舎に帰るとか帰省するとか言っても、私はとくに行く所がありません。でも、私の意識のなかでは、その祖父の郷里、埼玉県の毛呂山町にある“滝の入”は、私にとって大切な田舎なのです。子どもの頃は、お彼岸と言えば、祖父に連れられて滝の入を訪れました。土間があり、蔵があり、狭くて急な階段を二階に上がれば蚕を飼っている。それこそ「となりのトトロ」さながらの風景がありました。裏山には大きな養鶏場があり、鶏たちのやかましい鳴き声と、不思議に暖かい鶏舎を歩いて、卵を集めるのは本当に楽しかった。 お世話になった滝の入のおばさん、正確には祖父の兄の娘がこの4月に他界しました。身内を送るのはさびしいことです。葬儀には行かれませんでしたが、日を改めて、ふるさとにお線香をあげに行きました。 八高線の毛呂駅は電化区間から外れ、高麗川からディーゼル電車に乗り換えます。拓けたとは言いながらも、駅と駅の間は必ず森林風景が広がる場所です。ふるさとの家の前の道は立派に舗装されたものの、蔵もあり、面影は昔のまま。おばさんは遺影でしたが私に微笑んでくれました。「よしきさん、よく来たね」声が聞こえてくるようでした。 今は裏の鶏舎も、カエルやザリガニを採った小川もなく、ずいぶんと様変わりしてはいましたが、私にとって大切な人々の思い出は変わらず、そこにありました。 もう、代も替わり、人も移り、滝の入に行くことはないのかもしれない。その風景をしっかりと胸に収めて、家路につきました。

歌屋合宿しました。

まず私の駄文をお読みいただいている団員以外の方へ説明を。ガレリア座は、歌の人、オーケストラの人、バレエの人、スタッフさんなど、多くの人が関わっています。歌の人を“歌屋”。オーケストラの人を“オケ屋”と呼んでいます。バレエが“バレエ屋”ないし“踊り屋”などと呼ばれていないのは、まだ人数が少ないせいと、バレエという優雅なイメージがこの呼称を許さない、と私は解釈しています。 その歌屋の合宿が4月21日~22日の週末に千葉県の内房、岩井海岸で行われました。岩井海岸と言えば知る人ぞ知る音楽合宿のメッカ。4月のこんな時期でも、他の民宿からも練習の音が聞こえてきます。 過去の合宿において「街道沿いの雰囲気のいい料理屋で竹筒の日本酒を楽しみ合宿の開始時間に遅れる」「熱心な稽古をよそに河口湖でモーターボート遊びを楽しむ」など、数々の悪行を重ねてきた私ですが、今回はじつに真面目な態度で合宿に臨みました。稽古の様子を撮りましたので、よかったら見てください。今度のプロジェクトは事情により立ち稽古の進度が異様に早く、歌屋合宿の段階でほとんどのナンバーに演出がついている状態です。私も本当に大人になったなあ、成長したなあと感じ入っています。 練習風景