2013年11月22日金曜日

中秋の清里に遊ぶ

所用で山梨へ出かけたついでに清里まで足を延ばしました。真紅の紅葉はあまり見かけませんでしたが、鮮やかな黄色が真っ青な空に映えて、そのコントラストの美しいこと!雲一つない青空に浮かぶ八ヶ岳もまた格別。お昼は清里駅からもほど近いROCKという有名なドイツ風?レストランへ。最近、ダイエットを始めて体質が変化してきたせいか、豆腐やサラダやきのこ等を前菜にして、メインは名物のファイヤードックカレー!高原野菜のサラダと半熟卵を付けあわせに、自家製ベーコンとソーセージ、それにコトコトに煮込んだ濃厚カレーがたっぷり!!でも、残念ながらご飯はほとんど残してしまいました。レストランの近くには、雑貨屋やハーブ屋やオルゴール博物館など、一昔前、清里に女性たちが押し寄せたときの名残のような店が点在していますが、そもそも平日の訪問だったせいか、どこにも人がいませんでした。ROCKで自家製ソーセージやベーコンをお土産に買いこんで、次は清泉寮へ向かいます。ここは70年の歴史を誇る総合宿泊施設。霞んで遠くに薄く眺める富士山も最高で、さらにここのジャージー牛乳とアイスクリームが絶品。本当は現地で食したかったのですが、とにかくもうカレーを残すほど満腹だったため、お土産に買って帰ることにしました。帰りがけには甲府地鶏のお肉と卵を買い込み、なんだか畜産物フェスティバルの様相。もちろん、家族が喜んだことは言うに及びません。

山小屋風ROCK

女子向けのお店が点在

青空に黄葉が映える

ここが清泉寮

清泉寮から望む山並み

八ヶ岳も美しく

2013年11月19日火曜日

やって良かった

前回書いた住吉町生涯学習館のおまつりが終わりました。1時間30分という長い時間をいただき当初は座持ちできるか心配していたのですが、案の定、私のおしゃべりが長引いて、見事、ジャスト90分の一本勝負を制しました。ハハハハ!本番には滅法強いのです。どのユニットも稽古以上の実力を出し切り、なかなか良いできだったと思います。ともすれば“歌うこと”=“発声”という技術に傾いてしまう日本の声楽世界の毒が、アマチュアにはストレートに効いてしまい、西洋クラシック音楽の歌唱にとって極めて重要な要素であるところの“詩”が置いてけぼりになってしまう。詩は大切だよー。詞を意識して欲しいなー。私のそんな危惧感を、メンバーたちも少しだけ感じてくれたのではないかなと思っています。私も長い間、音楽に付き合ってきて、いろいろな事を学びました。その学びが自分の感性や知性を豊かにしてくれました。音楽は私にとって欠くことのできない友となりました。そしてその友は、私の友人たちも豊かにしてくれるのです。友人たちは、いつもと違う宿題に苦しんだでしょう。打上げの宴で見せてくれた、開放された笑顔が殊のほか、印象に残っています。さて、いよいよ私も《シカゴ大公令嬢》へ向けて本格的に腰を上げることにしましょう。

2013年11月7日木曜日

なぜ原語?

ガレリア座が日頃稽古場としてお世話になっている新宿の住吉町生涯学習館で館まつりがあります。11月10日です。お近くの方はどうぞ。無料です。毎年、1時間程度のステージをいただいてメンバーが歌っていますが、今年は少し趣向を変えています。原語唱にチャレンジします。ガレリア座は私の強い思いから通常の公演では日本語訳詞を採用しています。それは、アマチュアである私たちにとって、きちんと意味を理解しながら歌うことが重要だと考えているからです。一方、ヨーロッパの地方歌劇場や大都市の第二歌劇場が現地の言葉で上演していることが(最近はグローバル化が進み、よほどの辺境に行かなければ大体原語で歌ってしまうようになりましたが)、オペラやオペレッタの浸透を助けていることも、ガレリア座が訳詞を採用している要因です。ですが、今回はその禁を破ります。しかも私が頑なに上演を避けているモーツァルトもやります。非常にひねくれた言い方なんですが、私は、やはりオペラは原語で歌うのがいいと思っています。また、モーツァルトをこよなく愛しています。ガレリア座で原語とモーツァルトを避けるのは、私の強い愛情と、そしてそれゆえに私たちがやっても私の欲求が満たされないことが明白だからです。モーツァルトは本当に危険です。へたをすると、とても幼稚な音楽に聞こえます。それは絶対にいやなのです。許せない。原語というのは本当に豊かに表現することができます。日本語が一つの意味を歌うのに数音費やす場合が多いのに、原語では一音でさっと言いたいことを表現できます。詞と音楽は一体でなくてはなりません。原語は当然、それを実現できるのです。ああ、なんて素晴らしい!先日の稽古でメンバーがとても苦しんでいるのを見ました。いつもガレリア座でできることが簡単にはできない、そのハードルの高さを感じてくれているようでした。サディスティックですが、私はやっぱりガレリア座のみんなは音楽に素直なのだと感じました。みんな、適当にクリアして満足しようとしてはいない。本番のお客様には申し訳ないけれど、苦しみの過程で本番を迎えてしまっても全然かまわない、そう、私は思っています。ガレリア座の通常公演では絶対にやりません。スピンオフならではの珍しい様子をのぞきにいらっしゃいませんか。

2013年11月4日月曜日

フィギュアスケートに想う

冬季オリンピック、ソチ大会まで3カ月あまり。競技関係者やマスコミ以外の一般人には、まだどうにもピンと来ません。2020年の東京開催が目立ってしまって、ソチはそっちのけ…駄洒落です…すみません。そんななか、フィギュアスケートのグランプリシリーズが始まって、テレビ放送にも力が入り始めました。冬季大会のなかで日本がメダルに近い種目ですからね。私の関心は当然、女子個人。私の場合、彼女たちの表情とか所作にしか興味が向きません(あ、男子はもちろん対象外)。私に言わせれば、フィギュアスケートにジャンプは不要。何回転跳ぶって、そりゃ曲芸ですよ。美を競うのに不必要な要素です。浅田真央ちゃんが世に注目され始めたころ、卵型のツルンとしたお顔を輝かせ、両手をひらひらさせて滑っている姿は、私には衝撃でした。もうなんとも邪気がない。滑ることの歓びが前面に押し出され、見ている人を幸せな気持ちにさせてしまう、そんな魅力がありました。現在の安藤美姫にはまったく別の魅力を感じます。女子個人3枠に入るかどうかは、当人も気になるところではあるのでしょうが、毀誉褒貶があり、母にもなって、ある種の達観というのでしょうか。彼女、一人の人間として洗練された表情をしているのです。ただひたすらに滑ることに、演じることに集中している、その透徹した美しさ、凛とした佇まいに私は魅了されてしまうのです。先日、テレビのニュースで本田望結ちゃんという子役の女の子がフィギュアスケートの演技をしているのを、たまたま目にしました。彼女はお化け視聴率をたたき出した「家政婦のミタ」で可愛らしい末っ子役を演じ、私もずいぶん泣かされました。その望結ちゃん、じつはスケート一家に生まれ、彼女のフィギュアは、タレント・プロフィールに書くような趣味の域を完全に出ているのです。子役として培った表情と所作がフィギュアの演技に生かされ、真央ちゃんの無邪気さとは全然違う、本物のプロの表情、表現。こりゃ、すごいなと思いました。アスリートがリタイヤして芸能人になるケースはありますが、彼女の場合、あり得ないような逆のルートを進む可能性があるのです。スポーツニュースに取り上げられるようになるには、まだまだ時間がかかると思いますが、いつかはその姿を銀盤の上で目にしたいなあ、と思います。